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 被災地人民の怒りとともに民主党政権打倒! 今こそ国鉄全国運動の発展を
『団結』ニュース
   711号~(2011.10.~)
  691号~710号(2011.10.14~11.9)

スケジュール
国鉄闘争全国運動のホームページ
http://www.doro-chiba.org/z-undou/z-index.htm
運転基地再編攻撃粉砕ー業務外注化阻止!
11・11動労千葉総決起集会

 銚子支部は、「佐倉・銚子運輸区」設置に向けた線見・ハンドル訓練の強行に対して、11月5日を期して、断固として指名ストライキに起ち上がります。全支部の力で守り抜き、本人希望を無視して線見・ハンドル訓練を強行するJR千葉支社を徹底的に弾劾しよう!

日  時  11月11日(金)18時から
場  所  千葉市・DC会館 大会議室
内  容  (1)指名スト突入支部からの報告
       (2)外注化阻止に向けた各支部からの決意表明
       (3)当面する方針について
動  員  各支部とも、勤務以外、全力結集
  ※集会終了後、JR千葉支社に対する抗議行動を行います。
  ※各支部から全力で結集しよう!

すべての原発いますぐなくそう!全国会議
NAZENブログは、こちら

11月14日(月)
団交が終わって、「街」で夕食
11月14日:韓日労働者交流
11月14日(月)
「たみとや」のホームページから転載

韓国民主労総全国労働者大会特派員速報ー2

韓国労働運動動画×2:①韓国民主労総「返品歓迎 - 派遣労働者の生」②「お父さんとチョンテイル」

ドイツからのNAZEN取材 on たみとや

韓国民主労総全国労働者大会特派員速報ー2:

Reported by Tomishoya

11月13日:市庁前広場 4万人以上

人で溢れかえっています!本集会にて

教育労働者の組合の方が、可愛いカチューシャをくれました( ´ ▽ ` )ノ

お礼にNAZENの缶バッジをあげたら、「教師はもちろん原電(原発のこと)反対!」と言ってました( ´ ▽ ` )ノ

ソウル近郊の公務員組合のチュンさん。
韓国の原発も最悪で、国境を越えて共に闘わないとだめだと話してくれました。釣りが趣味だそうです。

ちなみに皆さん近くに座ってたから仲良くなっただけです(笑)

11・6に東京に来ていた韓国の仲間たちと再会!

青年の彼は、ケータイの待ち受け画面を、私の絵にしてくれていました!感激!!

集会終了後、颯爽とゴミを片付ける清掃労働者の皆さん。

11月14日:韓日労働者交流

今日は朝から民主労総ソウル本部にて韓日労働者交流☆
歓迎式では、動労千葉田中委員長、全学連斎藤委員長に続いて、NAZENとして挨拶させていただきました。
通訳が入るので、珍しくとても緊張しましたが、

11月の闘いを通じて、そして韓国に来て強めた想いを少しでも伝えられたかなと思います。

↓朝の散歩で、1919年3月1日3・1独立万歳運動発祥の地、鐘路区タプゴル公園にて。

やたら団結を深めた東京青年御一行(笑)

↓韓日交流なう☆

さよなら原発!福岡1万人集会

Ustream動画:2:31あたりにNAZEN & つっちー

韓国労働運動動画×2:

①韓国民主労総「返品歓迎 - 派遣労働者の生」

②「お父さんとチョンテイル」

故全泰壱(チョン・テイル)は大邱の貧しい家庭の長男として生まれた青年。17歳でソウル平和市場の縫製工場に就職。そこで働いている女性労働者の多くは劣悪な労働環境と -低賃金で働かされていた。そのあげくに肺炎を患ったことを理由に解雇された幼い女性工員をかばったことで、彼自身まで解雇された。これをきっかけに独学で労働法を勉強し、 -当事の軍事独裁政権下で孤独で勇気ある労働運動を開始する。

  裁断士として仕事をする傍ら、同僚と共に勉強会を重ね、 工場における労働実態や労働環境についても調査。さらにそれに基づいて労働庁に陳情したり、雇用者に協議を重ねるなど、平和的な運動をすすめたが、独裁政権や雇用者は耳を -かさず、全く改善の兆しは見られなかった。

  そこで1970年11月、このような状況に抗議するための集会を計画し、実行に移そうとした矢先、今度は警察・機動隊によって強制解散させられそうになった。全泰壱はつい -にその場で全身にガソリンをかぶって抗議自殺を図る。「労働者だって人間だ」「労働法を守れ」「僕の死を無駄にするな」と叫びながら火だるまで数十メートルを歩いた。すぐ -に病院に搬送されたが、 その日の夜にわずか22歳の若さで息を引き取った。

  全泰壱の焼身自殺をきっかけに、労働者の悲惨な実態が世界に報道されるようになったことで、それまで「奇跡の経済成長」がもてはやされていた朴正熙独裁政権の暗部が明らか -となり、激しい弾圧で停滞を余儀なくされていた労働運動が活発となった。また、学生や知識人の目を労働問題に向けさせ、1970年代~80年代の民主化運動における労働者 と学生及び知識人の連帯を生み出し、これらが韓国民主化実現の原動力となった。

  独裁政権時代には全泰壱の伝記なども禁書扱いだったが、民主化実現後の2005年、焼身自殺から35年目、清渓川復元事業に伴い清渓6~7街を「全泰壱通り」と命名し、彼 -の彫像と銅板が敷かれた橋が建設された。そして、同年9月30日、息子の死後に遺志をついで労働運動にとびこんだ母親の李小仙も参加して、彫像の除幕式が行われた。 全泰壱の死を賭けた思いは、ついにここに実を結んだのである。

11月9日:ドイツからのNAZEN取材 on たみとや

マルクス主義イニシアティブのディエール・エルケン氏、職場・組合・社会運動フォーラムのラーベン・プロンシュタイン氏とNAZEN事務局



11月13日(日)
「たみとや」のホームページから転載
韓国民主労総全国労働者大会特派員速報
全国労働者集会前夜祭

労働運動の闘争の中で亡くなった烈士たちの墓が集まるモラン公園墓地

チョンテイル烈士(1970年に焼身抗議)と、その母イソソンオモニ(チョンテイル没後40年以上その意思を引き継いで闘争、2011年9月に逝去)の墓参式に参列。

その前に日本語通訳付きで民主労総の方がいくつかの烈士の墓をガイドしてくれましたが、それがとても迫力あって良かったです。「西洋の人は『階級意識』という言葉を使いますが、私たちは深い愛と怒りを孕んだ『精神』という言葉を使います。『チョンテイル精神を受け継ぐ』というのは、そういう精神を持って闘うという意味です」と。

本日午後の集会の為にソウルに集まった労組の人達が多数参列していましたが、中でも青い作業着を着た「韓進重工業」の組合員たちに遭遇したのは嬉しかったです。

集会に飽きて呑んだくれてる韓進のおっちゃんたちが、誰かが渡した「前進」を嬉しそうに広げて、「99%」の文字と、11・6の写真に写っていた民主労総の旗を見つけて喜んでいたので、一緒に写真を撮ってもらいました☆


↓ 「街」版
ソウル支庁前
その頃「街」では…残留組の最強アマゾネス軍団が、大挙あまり熱烈トーク
夕食は、豆乳鍋 最後にたっぷりのニラを加えて
切り干し大根サラダ 人参シリシリ 見た目は悪いけど、豆乳鍋完成です!
柚子煮 舞茸ご飯 エビちゃん作・厚焼き玉子

11月12日(土)
昼食は豚とじ丼
ハネやん、2階中央室をリフォーム
田舎から柚子の差し入れ
夕食は、巨大寄せ鍋…の写真がない
ので、でっち上げ ↓
2日間かかった牛すじの煮込み
ヨッチーから新潟・長岡の銘酒「吉乃川」
の差し入れ、。あっという間に空に
最後は、韓庵庵からチヂミの出前
 

 ソウルへ出発します
前夜祭
鉄道オタクから提供。勝田車両センターまつりに無批判的に行っちゃったらしい?!?
韓進闘争が終結! キムジンスクさん、笑顔でクレーン降りる
動労千葉を支援する会のホームページから転載
労使の暫定合意文を10日、韓進重工業支会は、総会を開き、全会一致で可決した。これに伴い、309日間、韓進(ハンジン)重工業88号クレーンで、整理解雇撤回を要求して座り込みをしていたキムジンスク民主労総釜山本部指導委員と金指導委員を守るために137日間、一緒に座り込みをした組合員3人が座り込みを終えて降りてきた。社内での組合員たちと挨拶を交わした後、本館正面玄関から姿を現わしたキムジンスク指導委員は、"生きて降りてくると思いました。"と明るい姿で挨拶した。
 

11月11日(金)
昼食はオデン、三里塚の大根 ゆで卵、差し入れの竹輪麩、
動労千葉の昆布
差し入れのマグロ お土産の明太子


 だ  ん   け  つ  2011年11月11日
711
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11

電話 3928-1378

韓進闘争が終結! 
キムジンスクさん、
笑顔でクレーン降りる
 11月10日、韓進重工業の整理解雇撤回を求めて高空籠城闘争を続けていた民主労総釜山本部のキムジンスク指導委員が、ついに自分の足でクレーンを降りてきた! 前日の9日、労使交渉が労組の要求を会社側が一定のむ形で妥結。最後の悪あがきとしてキムジンスクさんの逮捕を狙った権力と韓進資本の策動をも実力で粉砕し、10日午後、全組合員の総意で闘争終結が宣言された。そして、ともに闘った多くの仲間が見守る中、こぼれるような笑顔のキムジンスクさんが、309日にわたる籠城闘争を終えてクレーンを降りたのだ(写真)。地上に降りた彼女は、仲間と抱き合い喜びを分かち合ったのち、歩いて工場の門を出て病院に向かった。

 彼女が上っていた85号クレーンは、2003年に当時の労組支会長だったキムジュイク氏がやはり解雇撤回を求めて129日間の座り込みをして、最後は抗議の自殺をしたクレーンだ。その半月後にはもう一人の組合員、クァクジェギュ氏が同クレーンの向かい側のドックに身を投げて憤死した。そのクレーンにキムジンスクさんは、彼らの魂を胸に抱いて上り、かつ「ジュイク氏がとてもやりたかったのに結局できなかったこと、勝利して自分の足でクレーンを降りていくことを必ずやる」と約束した。そしてまさに、その約束を果たしたのである。
 以下は、キムジンスクさんの発言

 「皆さん、大変ご苦労様でした。
 ジュイク氏も、このように歩いて降りてこれたら、どんなに良かったでしょうか。
 309日の間、一時も忘れることができなかった名前が、キムジュイク、クァクジェギュです。
 クレーンにいながら、(ジェギュ氏が身を投げた)4号ドックをまともに見つめることができませんでした。
 多くの人が、309日をどのように耐えたのかと尋ねます。

 85号クレーンで起きたことを知っている人なら、この時間を、途中で放棄することがどうしてできるでしょうか。
 今や、解雇者・非解雇者の区別はなくなりました。

 100%満足はできないけど、私も皆さんも今まで最善を尽くしてきました。 今日この時から、先に行った(亡くなった)同志たちの心の負債、闘争中に生じたお互いの間のわだかまりを洗い流していきましょう。

 皆さん、今日からが新しいスタートであり、出発点です。
 笑いながら最後まで、トゥジェン(闘争)!」

 韓進重工業労働者の闘い、キムジンスクさんの闘いは、資本による労働者へのほしいままな首切り攻撃に正面から立ち向かい、新自由主義攻撃を打ち破っていく偉大な突破口を切り開いた。13日には、民主労総による全国労働者大会が開かれ、イミョンバク政権への追撃の宣言が発せられる。ともに闘おう!(千)

三里塚芝山連合空港反対同盟 動労千葉 星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議 労組交流センター
動労千葉を支援する会
3・14法大弾圧を許さない法大生の会
北島邦彦の「すぎなみ未来BOX」
とめよう戦争への道!百万人署名運動

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