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2011年日誌 |
東京北部ユニオン 「街」分会 ビデオ・ライブラリー 2011年 2010年・2009年・ 2008年・2007年 |
被災地人民の怒りとともに民主党政権打倒! 今こそ国鉄全国運動の発展を 『団結』ニュース |
711号~(2011.10.~) |
691号~710号(2011.10.14~11.9) |
スケジュール |
国鉄闘争全国運動のホームページ | |
http://www.doro-chiba.org/z-undou/z-index.htm | |
すべての原発いますぐなくそう!全国会議 |
NAZENブログは、こちら |
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12月30日夜、6時頃~ 12月31日PM5時頃~ 1月1日午後3時頃~ 1月2日PM5時頃~ |
「街」で飲んで、食べてます。 電話して来てください! |
※ シャッターが閉まっていたら、勝手に開けて下さい! |
12月28日(水) |
仕事おさめ |
今日の則子さん、 元の病室に戻りました。 経過良好! |
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今日の石神井川、12羽のカルガモ | ||
昼食は三里塚の白菜と豚肉 | 紅鮭 | |
納豆 | 大根漬け | 小掃除 |
3時のオヤツ | ||
夕食は、豆腐チゲ | 焼きナス | |
カキフライ | エビマヨ | 南瓜サラダ・ |
今日で2011年も最終、仕事納めです。 いろんなことがあった一年でした。 3・11で情勢がガラっとかわり、ものすごい一年でした。 原発について、放射能汚染について、原発労働について討論したり、学びあったりしました。 「すべての原発、今すぐなくそう!」と、話しあいました。 12月に入り、フクシマの診療所建設にみんなで取り組み、ボロ市の2日間で10万円余りを集めることができました。 事あるごとに団結を確認しあう一年でした。 「街」が障害者自立支援法の法内施設に移行することも、討論しました。 則子さんのガンとの闘いも、団結で闘いぬいています。 今日の一年の締めくくりのミーティング。 「資本主義がいよいよ終わりに来ているね。来年は面白くなるね。」 街の団結で、2012年も闘いぬきましょう!! |
評価書郵送「姑息」 県庁前、抗議の拳 2011年12月27日 琉球新報 |
米軍普天間飛行場の辺野古移設に向けた環境影響評価書の提出を阻止しようと、平和団体や市民団体のメンバーら約300人(主催者発表)は26日、県庁に駆け付け、早朝から夕方まで沖縄防衛局の動向を警戒した。参加者らは県庁前広場で午前と夕方、2度にわたって集会を開き、あくまでも年内の評価書提出にこだわる政府姿勢に怒りの拳を上げた。27日中に郵送で県に届けられる方向だが、参加者からは「郵送は姑息(こそく)」との批判も。団体は27日も県庁に集まり警戒する。 阻止行動は基地の県内移設に反対する県民会議(崎山嗣幸、新垣繁信、玉城義和、平良研一、高里鈴代共同代表)の呼び掛けで実施。防衛局が早朝にも県庁を訪れるとの見方もあり、午前6時ごろから参加者の一部が駆け付け、県庁内の各入り口で目を光らせた。提出先の環境生活部環境政策課周辺にも職員が登庁し始めた午前7時40分前からメンバーが訪れ、交代制で、多い時間帯には約110人が2カ所のエレベーター前を中心に座り込んだ。 午前8時前から約2時間は、県庁の玄関前に赤嶺政賢衆院議員(共産)、山内徳信参院議員(社民)、糸数慶子参院議員(無所属)の3国会議員、県議会議員、市町村議会議員ら約20人が集結。防衛局員が評価書を運んできた場合、「説得」をしようと待機した。 県庁周辺や環境政策課周辺で座り込みを行ったメンバーは「怒」「環境評価書は持ってくるな」などのメッセージを書いたカードを手に、年内提出にこだわる政府の姿勢を批判した。 午前10時から県庁前広場で行われた集会で、ヘリ基地反対協議会の安次富浩代表委員は「今日から大事な3日間になる。日本政府に対する煮えたぎる怒りを示していこう」と話した。 |
ビデオ http://ryukyushimpo.jp/photo/storyid-185658.html |
【動画】辺野古アセス評価書、未明に搬入 県「手続き完了していない」2011年12月28日 |
ビデオ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-185702-storytopic-53.html |
2011年12月28日 10時48分 |
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向けた環境影響評価(アセスメント)手続きで、沖縄防衛局の職員らは28日未明、県庁に評価書の入った段ボール箱個を守衛室に搬入、警備員に預けて立ち去った。県は持ち込む際の手続きに不備があるとして、仲井真弘多知事ら幹部が取り扱いについて午前9時から緊急に協議した。兼島規総務部長は協議後、記者団に「県としては7000ページそろっているので到達はしている」と述べたが、受理するかどうかについては明らかにしなかった。守衛室前には市民ら約150人が陣取り、受け取りを拒否するよう県に要求している。 受け取った警備員らによると、防衛局職員を名乗る人物から午前4時前に荷物を預けたいとの電話があり、警備員が庁舎管理を担当する県管財課の職員に電話で確認したところ、預かるよう指示があった。同4時すぎ、スーツ姿の数人の職員が評価書の入った箱を運び込んだという。現場には真部朗沖縄防衛局長も姿を見せており、指揮を執ったものとみられる。 ただ現場で警戒していた市民団体のメンバーが搬入に気付き反発、騒ぎになったことから、県条例で提出時に必要な部数(20部)全ては運び込めず、受付時に通常求められる持ち込み者の氏名や荷物の宛先なども帳簿に記載しなかった。 沖縄防衛局によると1箱に1部の評価書が入っており、搬入は計16部となる。同局幹部は「必要部数が搬入できていないのは事実なので、どう対応したらよいか県の判断を待ちたい」と述べ、残部の追加提出など県の求めに応じて対応する姿勢を示した。 |
「フクシマはカネになる」と囁く広島“原爆研究所”と、その所長の“法律違反”【前編】 2011年12月27日16時08分 提供:週プレNEWS |
福島原発事故により野菜や水道水などが放射能汚染されているかもしれないという恐怖は今も国民を覆っている。そんななか、“専門家”と呼ばれる人たちに求められるのは国民に対して放射能の正しい防御情報を提供するということ。しかし、広島大学の“原爆研究所”では被災者を冒涜(ぼうとく)するような発言が飛び交っていた。そして、その研究所の所長はなんと放射線にまつわる“法律違反”まで犯していたのだ。真相をルポライター・明石昇二郎が追った。 神谷研二・福島県放射線健康リスク管理アドバイザー。広島大学・原爆放射線医科学研究所(原医研)の所長であり、首相官邸に対してフクシマ原発事故対策の助言を行なう「原子力災害専門家グループ」の一員でもある。そんな重責を担う神谷氏のスキャンダルが発覚した。 * * * 1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故が起きるまで、放射性ヨウ素を体内に取り込んでも発ガンの危険性は少ないと考えられていた。そして、それが当時の科学の「定説(ていせつ)」でもあった。なぜなら、放射性ヨウ素は甲状腺機能の検診や甲状腺疾患の治療など、医療用としても広く使われており、そうした患者たちの間で甲状腺ガンの増加は確認されていなかったからである。 だが、事故発生から5年もすると、チェルノブイリ原発の周辺では子どもたちの間で甲状腺ガンが急激に多発し始める。10年も経つと、多発傾向はより顕著になる。「定説」を覆す異常事態が発生しているのは誰の目にも明らかだった。 この事態を受けて2000年10月、広島大学の原医研で「動物実験」による研究が始まる。研究の総括責任者は、当時、広島大学原医研の教授だった神谷氏だ。 実験は、ラットに放射性ヨウ素(I-131)を投与し、 (1)普通のヨウ素(非放射性)を多く含んだ食事(高ヨウ素)を与えたラットと、そうでない食事(低ヨウ素)を与えたラットを比較し、ガン発症との相関関係を調べる (2)子どものラットと大人のラットを比較し、ガン発症との相関関係を調べる というもの。つまり、小児甲状腺ガンの多発は「放射性ヨウ素による内部被曝」と日々の「低ヨウ素の食事」、そして「低年齢」に関係があるのではないかとの仮説を立て、それを検証するのが、実験の最大の目的だった。 この研究をあと押ししたのが、電力会社である。当時の日本は、茨城県東海村の「JCO臨界被曝事故」(1999年)が起きた直後。同事故を契機に「原子力災害対策特別措置法」が制定されたばかりだった。原発にはヨウ化カリウム製剤(ヨウ素剤)を常備しておくことが義務づけられ、電力会社にとっても「小児甲状腺ガン多発」の現実は見過ごせない話だったからだ。 関係者によれば、スポンサーとなった電気事業連合会(電事連)がこの研究のために注ぎ込んだのは「およそ1億円」。研究事業は、財団法人・原子力安全研究協会(原安協)が受託し、広島大学の原医研に下りてきた研究予算の総額は3年間で6000万円だった。 * * * 仮説は証明されつつあった。「低ヨウ素」「低年齢」ラットの生存率が最も低かったのだ。その死因の大半は、甲状腺ガンだった。しかも、高ヨウ素の食事を与えていたラットは、「低年齢」でも生存率の低下は見られなかったという。 研究がこのまま進めば、海に囲まれ、日頃から「高ヨウ素の食事」を摂っている日本の子どもたちは、チェルノブイリの子どもたちに比べ、放射性ヨウ素に対する“耐性”がある――ということが証明されていたかもしれない。加えて、放射性ヨウ素が誘発する小児甲状腺ガンの治療法や予防法開発のきっかけにもなっていた可能性もある。つまり、フクシマ事故が発生した今、数少ない吉報となるはずだった。 だが、そうはならなかった。 研究は中途半端のまま終わっていた。研究には「最終報告書」が存在するものの、「実は、きちんと最後までやり遂げられていないんです」(関係者)。 この研究を巡っては、大発見とも言える結果を出していながら、1本の学術論文も書かれていない。 その理由は、ラット実験の進め方が放射線障害防止法に抵触していたからである。原医研の実験施設が小規模すぎたことが原因だった。このため、動物実験の現場では同法で定められた基準の6倍もの放射性ヨウ素を使うハメになる。 これにより、実験担当者らは過度の被曝に晒(さら)され、白血球の減少など、体調に異常をきたす者も現われていた。おまけに、実験で被曝した者は原医研の職員ばかりでなく、なぜか原安協に雇用された非常勤のアルバイト女性まで含まれていたのである。中には、この実験から数年後、若くしてガンで急逝した人もいる。 実験を完遂するためには、実験担当者のさらなる被曝は不可避だった。担当者の中からは実験の進め方を疑問視する声が上がり、研究は事実上の中止へと追い込まれていた。 * * * 研究の「最終報告書」が出た3年後の06年7月、神谷氏の放射線障害防止法違反が内部告発で露見。放射線研究で模範となるべき原医研の面子(メンツ)は丸つぶれとなり、事件は地元紙『中国新聞』でも大きく取り上げられた。原医研には監督官庁である文部科学省の立ち入り調査も入り、研究の総括責任者だった神谷氏の責任が問われるのは必至の情勢となる。原医研の中は一時、「原医研は“お取り潰し”になるかも」「30人以上の処分者が出るらしい」と騒然となり、「中でも神谷さんは最低でも1か月、重ければ半年間の停職処分になるだろう」と見られていた。 だが、広島大学が神谷氏に下した処分は、「訓告」という大変軽いものだった。なぜか。事情を知る関係者は語る。 「自分の責任を同僚の研究者に擦(なす)りつけ、相対的に自分の責任を薄めることに成功したわけです。その同僚も『訓告』処分でした。彼の“政治力”の賜物(たまもの)でしょう」 (取材・文/明石昇二郎とルポルタージュ研究所) |
「フクシマはカネになる」と囁く広島“原爆研究所”と、その所長の“法律違反”【後編】 |
驚かされたのは、広島大学関係者に取材を試みたところ、神谷氏に関することだとわかった途端、皆一様に口をつぐんでしまうことだった。神谷氏と一緒にラット実験を行なった2人の原医研研究者に至っては「取材拒否」である。 そんな取材から浮かび上がってきた神谷像を一言で言うと「裸の王様」。誰もが神谷氏からの報復を恐れていた。広島大学内で敵対する人物を徹底的に攻撃・排除するのが、神谷氏の流儀だからだ。現に、取材した関係者のうち数名が、神谷氏による“懲罰人事”を喰らっている。従って、取材に応じてくれた人はすべて「匿名」が条件だった。 神谷氏をよく知る広島大学のかつての同僚は、やはり匿名を条件にこう話す。 「彼の名前が入った論文はたくさんあるけど、その内実は、他の研究者に取り入って、論文に自分の名前をちゃっかり載せているわけです。彼は以前、『仕事なんかする必要ない。早くいいポジションに出世して、人にやらせればいいんだ』と言っていました」 そして問題の「甲状腺ガン」研究もまた、神谷氏の発案ではない。アイデアは、広島大学の別の科学者と、神谷氏の部下だった動物実験担当の科学者によるものだった。 実際、神谷氏自身はこの実験による被曝をほとんどしていない。にもかかわらず神谷氏は、研究の最終報告書では自らの名前を「研究実施者」として誇示しつつ、その一方で、動物実験担当の科学者の名前を外そうと画策していた。 「科学者は、実験の進め方に異議を唱えた1人だったからです。しかしこれでは、口封じを兼ねた盗作行為と言われても仕方ありません」(関係者) 結局、神谷氏のこの企ては失敗に終わる。その科学者が実験の中心を担っていることは、スポンサーである電事連でさえ知っている周知の事実だったからだ。しかし科学者は、上司の神谷氏に楯突(たてつ)いたことがアダとなり、広島大学を追われることになった。あの名作テレビドラマ『白い巨塔』を地で行く話である。 *** 神谷氏の法律違反は大学ぐるみでうやむやにされていた。そんな“黒い経歴”の持ち主であることを隠して広島大学は、フクシマ事故後、神谷氏を福島県立医科大学の副学長として送り込むことに成功する。それも、「甲状腺ガン」研究をヒバクシャ救済に役立てられなかった事実を棚に上げてだ。 そして今、広島大学原医研周辺では、「『フクシマはカネになる』と囁(ささや)かれているんです」(関係者)。 福島県民が聞いたら何と思うだろう。神谷氏の取り巻き連中にとってはフクシマの災禍も利権か金づるくらいにしか見えていないようだ。問題は、そんな認識で果たしてヒバクシャのお役に立てるのか――ということだろう。 ところで、神谷氏の「専門家」としての力量を疑わせるこんなエピソードがある。 フクシマ事故のため、東京の水道水から規制値(100ベクレル/kg。乳児の場合)を上回る放射性ヨウ素が検出された直後の3月23日、神谷氏はNHK『ニュースウオッチ9』に「緊急被曝医療の専門家」として出演した。 その際に神谷氏は、「母親が水道水を飲んでも母乳への影響はない」と解説していたのである。 だがその1か月後、市民団体が関東地方在住の母親の母乳を検査したところ、次々と放射性ヨウ素が検出されたのだ。母親が飲食を通じて取り込んだ放射性ヨウ素が母乳へと移行したのであり、つまり神谷氏は、公共の電波を使って大嘘をついたことになる。いまだ訂正もされていない。 我々は、神谷氏に取材を申し込んだ。すると神谷氏から、「開封確認」付きのメールで返事が届く。だが、肝心の「甲状腺ガン」研究について訊(たず)ねる質問に対しては、すべて「コメントいたしません」との答え。ただひとつ、コメントをもらえたのは、NHKでの「母乳」に関する解説についてのものだった。 神谷氏は次のように釈明する。「東京都の水道水(東京金町浄水場)から検出された放射性ヨウ素は、1キログラムあたり210ベクレル(3月22日)とされています。(中略)このレベルの放射性ヨウ素の含まれた水道水を飲んだ母体の母乳により乳幼児の健康に影響があるとは考えられないというのが私の申し上げたかったことです」 ならば、そう訂正すべきだ。 当時のNHKニュースをみた視聴者の中には、「緊急被曝医療の専門家」の解説を信じ、「安心」して水道水を使い続けた人もきっと多いことだろう。 神谷氏では、日本国民の健康をとても守れないし、ヒバクシャを救えない。 (取材・文/明石昇二郎とルポルタージュ研究所) |
12月27日(火) |
12時半過ぎに手術に向かいます |
自力で歩いて手術室へ | |
手術を楽しんでいます…だって、「街」だもん! |
2時間後、則子さん、無事・生還! |
その頃「街」では! |
則子さんへの激励文を書きます | 今年最後の三里塚の産直野菜他 | |
ハネやんが作って行ったった昼食、豚肉煮 | ||
残った人たちで、 「1・1アピール」を コリっと!、読み合わせ。 凄い人たちだ! |
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差し入れ、多々 | ||
3時のオヤツ | ||
病院組が戻って夕食は…心の底から飲むぞーっっっっっっ! 一切れ100数十円の大トロ、イカと鯵。焼き帆立とツプ貝 | ||
差し入れの北朝鮮製・朝鮮ニンジン酒 | 飯鮨 | |
ホヤの塩辛は抜群 | 手術の成功を祝うのでした! |
12月26日(月) |
則子さん、明日、腸閉塞の手術になりました。 CTスキャンでは、8月に手術した大腸でなく、小腸の「癒着」を治す手術に なります。医者の見立てでは大したことではなさそうとのことだが、 実際の患部を見てから、ハッキリするそうです。 「癒着」と聞くと悪いことをイメージするが、「癒着」という作用がないと、 例えばケガした傷口がくっつく(再生する)こともないし、 縫った箇所が一体化(「癒着」)することもないそうだ。 「労働組合と党の一体的建設」に似てなくもないと楽観しよう! |
12月24日(土) |
北島邦彦の「すぎなみ未来BOX」のブログから転載 |
東京西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会の仲間たちの解雇撤回を勝ちとるために全国に呼びかけた総決起集会は、文字どおり会場満杯の340人の結集で大成功しました。被災地の福島・宮城から大阪・広島まで、全国各地でユニオン運動の前進のために格闘している仲間たちが集まってくれました。これは鈴コン分会の仲間たちが“おもろいオッチャンたち”だからそれに魅かれて…ということではなく(それも多少はあるかもしれませんが)、鈴コンの闘いが“自分自身”の闘いだととらえてくれているからこそのことでしょう。自分としても支援ではない闘いとしてやりぬく決意が固まりました。この闘いの最大の核心は、3ヶ月契約の非正規労働者だろうが何だろうがそこで働く労働者の団結を生み出すことができるならば、資本のいかなる理不尽な攻撃もはね返して、労働者は前を向いて突き進むことができるのだと明らかにすることです。「雇用契約期間が満了になったので契約終了です」と言って、資本はいかにも何の支障もないかのように労働者の首を切るわけですが、「だから何なんだ!ふざけるな!」と反撃することができる労働者の本質的“明るさ”がここにはあります。 今日の午後に行なわれた地位保全の仮処分を求める裁判の審尋でも、鈴木資本はいよいよ追いつめられています。追いつめられれば追いつめられるほど凶暴化するのが資本というやつの本性ですから、いよいよ鈴コン闘争は激化していきます。縦横無尽の闘いを展開しよう! |
動労千葉を支援する会 |
3・14法大弾圧を許さない法大生の会 |
北島邦彦の「すぎなみ未来BOX」 |
とめよう戦争への道!百万人署名運動 |
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