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国鉄闘争全国運動のホームページ
http://www.doro-chiba.org/z-undou/z-index.htm


6月14日(火)
ホセの反原発・第2絵
朝、みんなで6・11新宿のビデオを見ます
昼食はリッちゃんのカレー サラダ 和定食
3時のオヤツ
夕食は手巻き寿司 わさび…効~く~!
今日は、火曜日恒例「昼休み前進読み合わせ」です。
わざわざ、読み合わせに参加したくて来た「初参加」の仲間を含めて、スタート。
 
読み合わせたあとは、6・5国鉄全国運動大集会、6・11「原発やめろ!新宿デモ」、の感想を話し合いました。
原発を今すぐ廃止に!、の闘いは「どうやったらほんとうに原発が止められるか」という討論に(当然に)なって行きます。
初参加の仲間から、「原発」のことは痛いほどわかった。でもどうして、これが国鉄闘争になるのかが分からないんだけど・・・・。
と、率直な質問が出ました。
 
国鉄分割・民営化のことについて、先輩達から分かりやすく、歴史を踏まえながら説明されました。そして、“闘う労働組合が”いかに大切か、体制内労働運動ではなくて、労働組合を甦らせることが、いま、本当に求められている!ということが話されていきました。
動労千葉のこと、自分達の足元の民営化・新自由主義のこと、障害者自立支援法のこと、これと闘いぬく事が国鉄闘争と同じ闘いであること、一つ一つ、納得しながらの、深くて濃い、討論となりました。

51年目のスイッチ...6月11日・新宿反原発デモに参加して...呼びかけ人・高山俊吉 
裁判員制度はいらない!大運動のブログから転載
6月11日、新宿では約2万人が参加した大規模な反原発デモが行われた。裁判員制度はいらない!大運動は、「反原発特集号」となる『全国情報』第19号を新宿中央公園で参加者に配布した後、デモに参加した。

これは、その後の報告である。

「51年目のスイッチ」弁護士 高山俊吉

6月11日の新宿中央公園からのデモは長丁場でしたね。午後3時過ぎに公園を出発してアルタ前は6時近く。主催者はさっさと解散っていう雰囲気。

私たち6人は近くで食事をしてまたアルタ前に戻った。現場は完全な飽和状態。
青い制服の警察官でいっぱい。ゲリラ的なリレートークが続いているが、警察官がどんどん増えて解散を迫っている。司会者の後ろの生け垣の上にも警察官たちがいる。

俺たちには表現の自由がある」と絶叫する青年。

「表現の自由」

この言葉を聞いて私にはかちっとスイッチが入ってしまいましたね。何かがおりてきてしまった。「しゃべらせろ」「何でもしゃべらせろ」とどなった。

予定の進行から外れることで困ったような顔の司会者が「どうぞ」と私にマイク。

「何だこのざまは。ふざけるんじゃない。
警察官の君たちも被曝しているんだぞ、君たちの家族も被曝しているんだぞ。
原発反対を言っているみんなは君たちの命を含めてみんなが死なないようにがんばっているんだ。
東電の味方をして自分がもっと被曝したいのか。恥を知れだ。君たちは今何をしているのかわかっているのか。

私は弁護士だ、法律家だ。いま表現の自由という言葉を聞いた。

法律家として私は断言する。そのとおり、みんなに正義がある、彼らには絶対に正義がない。
生きるか死ぬかの話の時に、何の規制か、何のルールか。
私は弁護士として言う。みんなにはいうべきことを言う権利がある。そしてみんなに言いたい。
政府も財界も司法権力も御用学者もみんな全然信用できない。政治家はもちろん信用できない。このとんでもない社会を根本から変えてゆくのは若いみんなだ。皆さんがこの社会を根本から変えてゆく。
法律家が言うべきを言わないでいることを私は詫びる。でも、力の限りがんばろうとしている弁護士も少なくない。力をあわせてこの状況を根本から変えていこう。彼らに暴走させてはいけない。彼らが暴走すれば、ここはチュニジアやエジプトに必ずなるぞ。一緒に闘おう。以上です。」


と、こんなことを話した(ような気がする)。いい爺さんの絶叫。しゃべった時間は5~6分かな。
話が終わったら完全なもみくちゃ状態。握手をしようというみんなにどっと囲まれました。
若い夫婦と子どもさんが寄ってきて、これも握手。「お嬢さんもご一緒なんですね」と言ったら、「マスクをさせていてわからないでしょうがこれは男の子です」と。そりゃごめんなさい。
「名前を教えて下さい、逮捕されたら頼みます」という青年。
外の何人もが「名前を教えて下さい」口々に。
タハリール広場とまではとても言えないけれど、アルタハ広場くらいの感じはしましたね。
後で一緒にいたS弁護士が「おおぜいいた警察官がいつの間にかすっと消えてしまった」と。

私は大学1年の時に樺美智子さんが警察官に殺された翌日の学内集会を思い起こしました。あのときも私の頭に一瞬にスイッチがはいってしまい、おとなしい俊吉青年が学友に「彼女の死を自分の問題として考えきろう」と思わず口走ってしまった。

しゃべる内容よりも、まずしゃべってしまったですね。

51年ぶりです。

タハリール広場にも51年ぶりのお爺さんがいたんだろうなぁ。

 だ  ん   け  つ 2011年6月14日
№617
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11

電話 3928-1378
「伊方原発を全てとめよう」
松山市内デモが大成功!
 6・11反原発百万人行動の一環として、松山ではサウンドデモ「Goodbye NUKES in四国 」が行われました。当日午前は滝のような土砂降り、しかしデモ集合の1時に近づくにつれて雨が上がり、市内中心部の堀の内公園にはどんどん人が集まってきました。

 私たち愛媛労組交流センターの仲間も、デモに集まってくる人たちに新しい8・6ヒロシマ大行動のビラを配り、反原発1千万署名を呼びかけました。古くからの活動家の人から小さな子ども連れの家族、ネットの呼びかけを見てきた青年などと、討論の輪が広がりました。

 「おかしいと思うけど、それを言うと不利益になる。でも言わないと何も変わらない」と思ってデモに参加した青年は「反原発・反失業」という私たちのスローガンを見て、「本当にそうだ」と言ってくれました。

 松山では車道デモは今まではなくて、今回が初めての車道を通るデモ行進。サウンドカーを先頭に、コスプレの青年、小さな子ども連れの家族、電動車いすの仲間など、それぞれが思い思いのスローガンや鳴り物などを持ってデモに出発しました。「伊方原発を今すぐとめよう」これがみんなの共通の思いです。デモの途中から参加してくる人たち、仕事中の店内から出てきて声援を送ってくれる青年労働者など。中心部を一周して出発点に帰ってきたらデモ隊は250人以上に膨れ上がっていました。

 労組交流センターも郵政(JP労組)、自治体の仲間が組合の旗を持って参加しました。自治体の仲間は「うちの組合しか来ていない。どうして?」と。本当に反原発行動の中心に多数の労働組合が参加することが原発を廃止する決定的カギだと改めて思いました。

 初めての車道デモは大成功。そして最後にもう一度8・6ヒロシマ大行動のビラまきを行い、デモ終了後もあちらこちらで討論の輪ができていました。次は8・6ヒロシマ大行動だ! 組織しまくろう!(愛媛労組交流センター会員・H

すべての原発とめよう!6・11神奈川アクションに
横浜と横須賀で決起
 神奈川では反原発全国100万人行動の一環として、私たちは横浜大通り公園で集会を行い桜木町へ合流し、4000人の怒りとひとつになって闘いました。(写真は大通り公園から桜木町へ向かうデモ隊)

 横浜大通公園で私たちが会場準備に入るとまもなく、12時開会を待ちきれずに若いお母さんがアピール。「私は宮城出身です。子どもを守ってください。声を上げてください」と。土砂降りの雨の中を真剣な訴えです。ここにあるのは何とかしたい、こんな社会を変えたいという根底的怒りです。

 JR関内駅近くの大通り公園には60人が結集。参加した労働者が次々とアピール。

 国労闘争団の成田昭雄さん、5・20三里塚裁判で不当に逮捕され、前日10日に奪還された婦人民主クラブ全国協の仲間も元気に発言。12時30分からのデモは、沿道からデモに合流する労働者民衆が相次ぎ、JR桜木町駅前に着く頃には100人にふくれあがりました。

 JR桜木町駅前は雨も上がり続々と労働者が結集しています。午後2時過ぎのパレード出発時には4000人を超す大結集となりました。俳優の山本太郎さんも部隊稽古の合間をぬって参加し、アピール。「今のまま原発を続けようということは、目の前の利権、お金に左右されるということしか考えられない」「みんなが集まって声を上げよう。そうすれば変えていける」と怒りを表明。

 私たちは桜木町駅前で集会をもち、一言アピールを続行。5月29日結成された湘北合同労組をはじめ、神奈川労組交流センターなどののぼりを林立、圧倒的な注目です。「原発とめよう、今すぐとめよう」のコールで全体をけん引しつつ、県庁前から山下公園までのデモを貫徹。東電神奈川支社前では怒りのコールをたたきつけました。反原発1000万署名は350筆、「前進」は8部が売れました。

 横須賀でも、横浜をはじめ全国・全世界の闘いと一つになって、反原発デモを闘いぬきました。主催は教育労働者が中心となった実行委員会です。原子力空母の母港であり、核燃料製造工場がある「原子力の街」横須賀でこそ反原発闘争を闘う意義があると決意し、急遽、実行委員会を立ち上げたものです。

 当日は雨と風の悪天候の中、駅でビラをもらった、職場の同僚に誘われて、インターネットで検索して、という形で、教育労働者、自治体労働者や小学生の子どもを持つ母親などが会場のヴェルニー公園に集まりました。リレートークでは、「横浜会場に行こうと思ったけれど、やっぱり横須賀でやらなきゃ」という女性や、「横須賀ですら幼い子どものことが心配なのに、福島のお母さんたちのことを思うと胸が痛む」「政府はウソだらけ、ゴマカシだらけだ」など、参加者のそれぞれの思いが語られました。

 太鼓のリズムにのってデモに出発です。「原発いらない! 故郷を返せ」とにぎやかに訴え、横須賀のメインストリートを練り歩きました。自作のメッセージボードを一生懸命道行く人に掲げる女性の姿が印象的です。注目度は抜群でした。

 原発と人間は共存できません。文科省が示す線量基準20ミリシーベルトは撤回あるのみです。問題は労働組合です。横須賀で生き、働くものの責任として、6・11横須賀集会で大きな一歩を踏み出したと思っています。神奈川では6~8月、沸き起こる怒りをひとつの力に、結集軸として闘う労働組合を甦らせるために、職場・地域で全力で闘います。(神奈川・O)

 


ホットスポット
 『女性自身』 6月7日号より。
中部大学・武田邦彦教授が緊急警告。は、上の地図のように広域なものとすぐ近くに放射性物質がたまる「ミニ スポット」がある。

武田氏「(ミニスポットは)側溝、雨どいの落ちるところ、風の吹きだまり、プランターの土、雑草、芝生、草むら 、木の葉などの放射性物質が溜まる場所を指します。生活の身近にあるので見過ごしがちですが、測定するとかなり高い数値の放射能が出るはず。気をつけてください」

「ホットスポットに住んでいる多くの人は、そこから逃げるわけにはいかないでしょう。市や地域をあげて掃除をして除洗をし、ほかの地域と同じくらいの数値に下げる努力をしてほしいです。
具体的には表土を1cm取り除き、道路を掃除し、溝の泥をスコップで出し公共施設の壁を洗います。各家庭でも、庭の土を1cm取り除き玄関先を洗いましょう。また『ミニホットスポット』を探すために自治体に数値の測定・公表を要望しましょう」

6月13日(月)
たまっていた写真、11日の昼食は豚とじ丼
石神井川戦線、異常なし
夕食は動労千葉物販のソバ カニ・フライ 2010年B級グランプリ・甲府鶏モツ煮
トロロ、蕎麦湯 飯田鮨さんから差し入れの玉子焼き
日曜の夕食は、弁当と豚カツ
今日13日の夕食はゴーヤー・チャンプルー、豚シャブ・もやし・水菜炒め リツちゃんのひじき煮
ヘロヘロの椎茸のバターソテー
夕食後、2階のパソコンを店に降ろして、6・11ビデオの音声+タクヤのスライドを流す「街頭テレビ」圧倒的な臨場感で、
明日から常設にしたいなぁ!
地域の人たちがみんな見ていきました
6・11新宿反原発デモ@movie

SAKA-TAKU PHPTOS(All Photos469枚はこちら スライドショーあり)
「たみとや」のホームページから転載

トラメガご苦労さま

EIKO81のプラカード「孫たちに孫たちに戦のない世を」

たみとや動画



 だ  ん   け  つ  2011年6月13日
№616
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11

電話 3928-1378
仙台で 500人デモ、
こんな社会変えよう!怒り爆発
 6・11全国100万人デモの一環として、仙台でも反原発デモを闘った。遠くは鹿児島、熊本、京都から、そして東北各地から500人がデモに集まった。1千万人署名も150筆をこえて集まり、「コピーして職場の人にも書いてもらうから」と署名の列ができた。

 6月11日は、3・11大震災から3カ月。被災現地は何も変わっていない。復興攻撃の中で起きていることは、大量クビ切りと、この期に及んでも原発政策は維持するということだ。「こんな社会は変えなければならない!」――その怒りが爆発した。

 2歳になる子どもを連れて参加した女性は「政府はもうやめるべき。何もしなくていい。政府がやらないほうが復興は進む。こんな政府は終わらせて、私たちの政府を打ち立てなければならない」と訴えた。友人が福島に住んでいるという青年は、「6・19フクシマに行きます」と参加表明。中東の衛星テレビ局アルジャジーラからも取材がきた。 集会後、デモはドンドン膨れ上がり、ついに500人をこえた。「原発なくせ!」「政府・東電! 責任とれ!」「東北電力! 女川とめろ!」「未来を返せ!」のコールが繁華街にこだました。

 デモ後の集会では、東北大学学生自治会の石田真弓委員長も発言し、「大学こそ原発を推進してきた。何が学問の自由なのか。その一方で、原発反対・戦争反対を訴える学生を弾圧している。これが大学のやることなのか。今日は1年生も参加している。腐った御用学者を追放するのはわれわれの役目だ。大学から反原発の声を上げていく」と訴えた。

 この日は前段として、東北大学学生自治会の呼びかけのもと、東北大学片平キャンパス本部前で集会、デモを打ち抜いた。

 次は、6・19フクシマ大行動だ! 政府・東電の原子力災害現地対策本部のある県庁に向かって、1万人のデモを爆発させよう!(仙台・S)

5・1高崎500人デモに続いて、
前橋1000人デモを実現!
 6月11日、被災現地を先頭とした、全国の仲間の反原発の闘いと結んで、前橋でデモをやりました。

 この日、朝9時から毎週続けている反原発学習会のあと、群馬県教育会館大ホールで集会。原子力資料情報室理事の古川路明・名古屋大名誉教授の話はわかりやすく、その後の質疑応答も活発に行われました。とりわけ農民の青年の切実な訴えは集会に参加した400人の胸に響きました。主催者からの「この運動をさらに強めよう」との訴えに、参加者から11万円を超えるカンパが集まりました。

 さあデモの準備です。5階のホールから降りると、もうホールも路上も人がいっぱいです。デコレーションした宣伝カーを先導に、第一てい団出発。集会の興奮さめやらぬ参加者を率いて2台目出発、3台目の宣伝カーは、電源がソーラーパネル+バッテリーのリヤカー。デモ参加者の脱水症を防ぐ「給水車リヤカー」も登場しました。

 県庁前の長蛇のデモ隊は1000人にふくれました。ふだんは閑散とした「シャッター通り商店街」からもたくさんの人が繰り出して、「そこの交差点までいっしょに」と参加。エールを交換しました。

 宣伝カーには、デモ隊の人が使えるようにマイクをつけました。これを使い、青年たちが次々に歌い、訴えました。「被災現地に行ってきました。福島の人たちのためにもぼくたちが原発をなくそう」「職場では外国の人たちがたくさんいる。放射能や地震がこわいだろうに帰らないで教えてくれている。全世界の人と力を合わせていけば、たとえ、すぐには原発を止められなくても、今日の取り組みを続けていけば実現すると思います。今日の訴えを続けていこう」
 こうして市内を一周したデモ隊は前橋公園野外音楽堂で総括集会。8月に第3弾の集会をやることを呼びかけて、デモを終えました。

 野外音楽堂ステージでは、宣伝カーに積んだ電源とアンプ・スピーカーを解体してセッティング。デモ参加者が楽器を持ち寄った反原発コンサートで、「原発止めよう」のさらなる団結を深めました。(群馬・田島)


 


6月12日(日)

 だ  ん   け  つ 2011年6月12日
№615
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11

電話 3928-1378
6・11青年中心2万人反原発
デモ
新宿埋め尽くした!

 6月11日、反原発100万人デモが全国一斉で開催された。原発廃止を刻印する歴史的な闘いとなった。東京都内では新宿、芝公園など3カ所で大規模なデモが闘いとられ、最終的には新宿駅アルタ前に大合流した。
 新宿では、青年を中心に2万人のデモが繁華街を埋め尽くした。

 午後2時に新宿中央公園に続々と参加者が結集。午後3時にはサウンドカーや鳴り物を先頭にしたデモが出発。警察権力はこの日も数梯団にデモ隊を分断する暴挙に出た。だがみるみるうちにデモ隊がふくれあがり、一つの梯団で約1500人にまで増える隊列がいくつもでき、新宿の街を反原発で席巻した。

 沿道も車道も文字通り一体となった原発反対のデモになった。はりさけんばかりの怒りと熱気が新宿の街中を包み込んだのだ。

 労組交流センター青年部準備委員会を先頭にしたデモ隊列も大迫力の圧倒的なデモだった。「原発いらない!」「フクシマ返せ!」「電気は足りてるぞ!」「ふるさと返せ!」「闘う組合よみがえらせよう!」。およそ3時間のデモだったが、太鼓のリズムとコールが休むことなく鳴り響いた。飛び入りの青年の何人もが初めてマイクを握って元気よく飛び跳ねながらコールした。「自分も何かの役に立ちたい」と沿道から労働者がペットボトルの水を3ケースもデモ隊に差し入れてくれる場面もあった。

 デモ到着地点の新宿アルタ前は反原発の人々で埋め尽くされ、騒然としていた。必死で規制しようとする権力を、集会を貫徹しようとする労働者人民が圧倒した。

 この日、新宿では反原発の解放区となる巨大な闘いが打ち抜かれた。(KZ)

「原発やめろ!」
「未来は俺たちのものだ!」
広島で300人デモ
 6・11広島では梅雨の晴れ間の青空の下、約300人が原爆ドーム前に集まって集会とデモを行いました。被爆者、福島からの参加者、子ども連れのお母さん、お父さん、学生など、福島原発事故を契機にたちあがった人たちがたくさん参加しました。「原発やめろ!」「社会を変えよう!」「未来は俺たちのものだ!」――若者のこの声に多くの人が一緒に声をあげ、広島の街に核・原発絶対反対の声がとどろきました!

 8・6ヒロシマ大行動と広大生の実行委員会は12時から原爆ドーム前に集まろうと呼びかけ、ヒロシマ・フクシマ発の原発即時停止・廃止1000万署名や福島へ持参する寄せ書きを作りを行い、集会に集まった人たちや観光客らが多数応じてくれました。できあがったばかりのカラフルな8・6ヒロシマ大行動のビラ1000枚を配布。最高に盛り上がったのは広大生のバンド演奏です! 原発許せないという思い、福島の人たちへの思いをガンガン歌い、演奏し、踊りました。13時半から始まった集会では、福島から来た母親が、放射能で故郷を汚し、子どもの命を危険にさらしている原発への怒りを静かな口調で切々と述べ、「声をあげ、行動を続ける」と決然と表明しました。

 そしてデモです! 2つめの挺団(約100人)の先頭は原発廃止の幟旗、太鼓やラッパをもった広大生や青年、若い子連れの母親らが先頭に立ちました。コールは「げんぱつを止めよう」というバナーをマントにして身にまとった広大生。「原発いらねぇ」「子どもを守れ」「未来は俺たちのもんだ」「東電・政府は責任トレトレ」「俺たちは怒ってる」などなど。ヒロシマ・フクシマ・オキナワをつなげ「基地もいらない」というコールも。デモは圧倒的な迫力で広島の中心街を突き抜け、福島から来たお母さんも明るい表情に。デモにケチ付けしようと待ちかまえていた数人の「在特会」は相手にもされず、みじめに退散。

 次は8・6ヒロシマです! 午前9時、原爆ドーム前集合です! 原発の息の根をとめる闘いにしましょう。すべての原発・核、戦争を許さない――被爆者、労働者、学生、農漁民――こんな社会もうまっぴらごめんだという声がうねりとなって、行動として全国、全世界の街にあふれ出しました。職場、学園、地域で、私たち自身の力、団結と国際連帯の力で核・原発をなくし、戦争と新自由主義を打ち砕く闘いに突き進みましょう!(広島S・K)


フクシマ1万人の大デモを!
政府・東電に怒りの声をたたきつけよう!
 福島第一原発の事故は、日を追うごとに深刻さを増し、危機的な状況が続いています。1号機はメルトダウンした核燃料が圧力容器の底から溶け出し、格納容器も損傷していたことが明らかになりました。2号機、3号機も同様の状況です。すさまじい量の放射能が大量の水とともに建屋の内外に流れ出し、半径20キロ圏内は立ち入りを禁止され、6万人の住民に避難が強制されています。

 「種もみに罪はないのに」と田植えをあきらめた農家。命よりも大事に育ててきた牛に「忘れないでね」と涙を流して別れを告げ、殺処分に出す酪農家。福島市内の学校の校庭では、大量の放射能が検出され、運動会や部活動ができずにいる子どもたち。

 文部科学省は、エアコンもない教室で、窓を閉めきって授業をしろと通達を出しながら、「ただちに健康に影響はない」と無責任なコメントを繰り返しています。こんな状況にしたのは一体誰の責任だ!

 人類と核は絶対に共存できません。私たちの生活、そして何よりも子どもたちの未来を守るために、世界中のすべての原発と核兵器をただちに廃絶しなければなりません。

 利益最優先という資本主義が、核兵器と原発を生み出しました。国鉄(現JR)の分割・民営化で新自由主義の突破口を開いた中曽根政権は、原発建設を国策として推進してきました。労働運動の後退とともに、「効率性・金儲け」だけを求めて外注化、非正規職化が激しく進み、安全対策は「ムダ」とされてきました。その結果は、JR尼崎事故と原発事故を見れば一目瞭然です。

 そもそも原発は、多くの非正規の青年労働者に被曝による犠牲を強制することなしには成り立ちませんでした。現在もまともな安全対策もとられないまま、過酷な労働条件のもとで、事故をとめるために若者が動員され、ついには死亡者まで出ています。政府・電力会社と一体となって原発を推進してきた労働組合(連合や労連)の責任は重大です。

 原発をつくるのも、動かすのも、そしてとめることができるのも労働者です。労働組合が本来の姿を取り戻すことが、原発をとめることができる唯一の可能性です。これこそ、フクシマを繰り返さない道です。

 大震災によって、多くの田畑や漁港が津波にのまれ、原発事故による放射能被害はフクシマだけでなく、東日本全体の農漁業を壊滅の危機に追い込んでいます。さらに、100万人とも言われる労働者が失業においこまれています。

 政府と東電は事故の責任をとれ! 家も仕事も田畑も、すべてを元に戻せ! 労働者の団結とすべての人びとの連帯こそが未来を開く力です。

 「放射能に未来を奪われてたまるか!」「すべての原発をいますぐ停止し、廃炉にしよう!」という大運動を、フクシマから全国・全世界に広げていきましょう。一緒に声を上げましょう!

★どなたでもご参加いただけます

★楽器、プラカード、組合・団体旗、むしろ旗、大漁旗も大歓迎!

★賛同と、運営カンパをお願いします。

  賛同メッセージ→ikinukutatakai★gmail.com  ※★を@に変更してください 

  カンパ→三菱東京UFJ銀行・仙台支店 普通0226731 谷和司(タニカズシ)


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