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7月20日(水)

7月19日(火)

 だ  ん   け  つ  2011年7月19日
№636
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11

電話 3928-1378
「現闘本部破壊は許さない!」
三里塚緊急現地闘争に250人
 7月18日、三里塚芝山連合空港反対同盟のよびかけで緊急現地闘争が闘われた。

 天神峰現地闘争本部の破壊・撤去の攻撃が迫る中、怒りに燃えた労働者・農民・学生・市民250人が猛暑をはねのけて結集し、反対同盟とともに闘うことを誓い合った。

 市東孝雄さん宅南の開拓組合道路に接する萩原進さんの畑がこの日の会場だ。
 目の前に新たに機動隊の宿舎が建てられている。これも第3誘導路工事の関連で移転してきたもので、参加者の怒りを一層かき立てた。

 萩原富夫さんの司会で集会が始まり、最初に北原鉱治事務局長が発言に立った。北原さんは、東京高裁と千葉地裁が公平・公正の建前すらかなぐり捨てて現闘本部破壊へと歩を進めていることを「三権分立はどこへ行った!」と弾劾し、「生ある限り三里塚は闘い続ける」と決意を示した。続いて天神峰の市東孝雄さんが、5月20日東京高裁での50人逮捕の大弾圧を怒りを込めて振り返り、「現闘本部への攻撃は私にプレッシャーを与えて私の農地を奪おうとする攻撃でもある。農民にとって土地を取られるのは死ねということ。絶対に許さない。耕す者に権利あり。私は体を張って闘う」と不動の闘争宣言をたたきつけた。

 萩原進事務局次長が基調報告に立った。「牛肉の放射能汚染が問題になる中で、福島の農民、酪農家は苦しみにあえいでいる。この苦しみを受けとめ、同じ立場に立って闘いの指針を示す時だ。東電と政府の悪行に全責任を取らせなければならない。国家権力の手先に成り果てた裁判所によるデタラメな現闘本部裁判の判決・決定に対しては、制約をもうけずあらゆる方法で闘う。その闘いの炎は福島の農民にも届くだろう」と三里塚実力闘争の道に確信を与えた。さらに沖縄の反基地闘争、弾圧と闘う関西生コン支部との連帯を訴え、現闘本部破壊攻撃が襲いかかってきた時にはただちに全力で現地に結集して闘うことを呼びかけた。

 反対同盟顧問弁護団の葉山岳夫弁護士が発言に立ち、7月4日に千葉地裁によって出された現闘本部「収去命令」の矛盾と違法性を暴いた。同命令はわざわざ「成田治安法で閉鎖措置が取られていても収去できる」「建物の中に旧建物が残っていたら、それも撤去する」と原判決を超えて言及している。「閉鎖が解除されていない以上、収去は違法・犯罪行為であり、それに対する実力阻止闘争は正当防衛だ」と葉山さんは語気を強めた。

 動労千葉の滝口誠さんが連帯発言に立ち、「現闘本部と市東さんの土地は自分の体の一部」と強調し、千葉県下の労働者、農民、漁民の苦境をわがこととして反撃に立ち上がることをアピールした。さらに関実に続いて、「市東さんの農地取り上げに反対する会」の農民が、市東さんの決意に応えて現闘本部破壊攻撃と全力で闘う姿勢を明らかにした。婦人行動隊・宮本麻子さんのカンパアピールに続き、全学連の織田陽介委員長が「反原発闘争の全国的発展のために、三里塚闘争を決定的な柱に押し上げる。反原発闘争を闘う人びとがこぞって三里塚に結集する情勢をつくり出す」と決意表明した。

 鈴木謙太郎さんの「緊急時にただちに現地結集を」との行動提起と団結ガンバロー三唱で集会を締めくくり、反対同盟を先頭にデモに出発した。熱風を切り裂いて、デモ隊は市東さんが南台の畑までの行き来を強いられている「迂回ルート」を進んだ。新調した反対同盟ののぼりが林立し、「農地死守」の心意気を表している。市東さんの畑に到着すると、フェンスに囲まれた現闘本部が見える。今この建物周囲では破壊のために使われる道路が整備されている。許すことはできない! 市東さんを先頭にデモ参加者は続々とこのフェンスぎわまで詰めかけ「現闘本部破壊を許さないぞ!」のコールをたたきつけた。高いフェンスの向こうからこちらを見下ろしていたNAAと警察はあわてふためき「退去しろ……」などと叫ぶが、弾劾の声はますます高まるばかりだ。北原さんは宣伝カーから大音声で「成田警察署長に告ぐ。警察を引き下がらせろ!」と一喝した。

 三里塚は白熱の攻防のまっただ中に突入した。現闘本部破壊を阻止しよう。福島、そして全国の労働者・農民と三里塚との連帯をつくりだそう。(TN)

7月18日(月)


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